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VRミュージックビデオのレトリック ⑤ まとめ

今回の記事では、VRミュージックビデオのレトリックをまとめて考察します。

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表に見るVRミュージックビデオのレトリックのまとめ


これまでに説明したVRミュージックビデオのレトリックは、4種類ありました。

VRミュージックビデオのレトリック一覧表
アクション型 ヒトの動きによる視線誘導が発生する作品
パノラマ型 画面構図の変化によって視線誘導が発生する作品
ドライブ型 カメラドリーによって視線誘導が発生する作品
トラディショナル型 視線誘導が発生しない伝統的動画を踏襲した作品


VRミュージックビデオを構成する要素には、以下のようなものがあるように思います。

VRミュージックビデオの構成要素一覧表
被写体 アーティストであったり、画面そのものであったりする
視線誘導 どのような視線誘導を使っているか
撮影素材 実写なのか、CGなのか
※視線誘導については、以前の記事を参照

以上の構成要素とレトリックの組み合わせを表にすると、次にようになります。

VRミュージックビデオの構成要素とレトリックの対照表
被写体 視線誘導 撮影素材
アクション型 ヒト アクション誘導 実写およびCG
パノラマ型 画面 アクション誘導 実写およびCG
ドライブ型 画面 カメラドリー誘導 実写およびCG
トラディショナル型 ヒト なし 実写


この表を参考から言えることは、VRミュージックビデオにおいてもアクション誘導が使いやすい、ということでしょうか。VR劇動画の演出においても、アクション誘導は必須なことを合わせ考えると、VR動画の視聴者は動くモノを目で追いかけた方が作品を楽しめるといったところでしょうか。

VRミュージックビデオの構成要素の組み合わせには、これまで紹介したレトリックにはなかった未知のものも考えられます。以下の表は、構成要素のうち被写体と視線誘導に焦点を当てて考えられる可能な組み合わせと、レトリックの関係をまとめたものです。

VRミュージックビデオの構成要素の可能な組み合わせ
アクション誘導 カメラドリー誘導
被写体がヒト アクション型 なし
被写体が画面 パノラマ型 ドライブ型


以上の表から言えることは、ヒトを被写体としたカメラドリーによる視線誘導を使った作品はまだない、ということです。


ヒトを被写体としてカメラドリー誘導を使った作品とは、どのような作品でしょうか。すぐに思いつくのは、逃げるヒトを主観カメラが追うようなシチュエーションの作品です。こうした作品を、ブログ作者は探してみましたが、ぴったり条件を満たすものは見つかりませんでした。

このブログでは、VR劇動画とVRミュージックビデオの批評的考察を連載してきました。執筆の過程で、伝統的動画とVR動画の中間に位置するような映像作品を発見できました。それは、POV(Point of View)撮影による伝統的動画です。POV動画は、伝統的映画および伝統的ミュージックビデオの両方に作品例があります。POV動画の発展形が、もしかしたら未来のVR動画のヒットコンテンツになるかもしれません。考察の最後に、POV動画を引用します。

Cinnamon Chasers《Luv Deluxe (Music Video) 》



Cinnamon Chasersの《Luv Deluxe (Music Video) 》は、カップルの逃走劇風の動画に音楽を合わせたもの。

《HARDCORE HENRY Official Trailer (2016) First Person Action Movie HD 》



《HARDCORE HENRY》は世界初の全編一人称カメラ撮影によるアクション映画。2016年4月8日に公開され、オープニングで興行収入5位にチャートインしました。FPSのゲームの世界をそのまま映画にしたように作りで、今後現れるであろう長編VR劇動画を予感させるものとなっています。


ブログでは、今後もVR関連記事を掲載していきます。

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VRミュージックビデオのレトリック ④ トラディショナル型

今回の記事では、トラディショナル型のVRミュージックビデオを説明します。

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VRミュージックビデオのレトリック ④ トラディショナル型


「トラディショナル」という言葉が「伝統的」と訳されるように、『トラディショナル型』のVRミュージックビデオは伝統的ミュージックビデオの演出方法を色濃く継承しています。「トラディショナル型」の特徴を簡潔に言えば、伝統的ミュージックビデオのカメラをVRカメラに置き換えた映像技法、と表現できます。トラディショナル型では、VR動画における演出の要といえる視線誘導が発生しません。

トラディショナル型の作品ではVRカメラで撮影しているので、当然ながら視聴者は360度にわたり視線の自由が与えられます。しかし、これといった視線誘導が働かないので、結果的に楽曲を演奏しているアーティストを見ることになります。というより、アーティスト以外のドコかを見たところで、何の意味もないのです。

トラディショナル型には、さらに「ライブ的」「360度ライブ的」「スナップ的」という3つのサブクラスがあります。

The New Orleans Jazz Orchestra《The Resurgence of Jazz In New Orleans》



ライブ的トラディショナル型の作品とは、伝統的動画における音楽ライブ映像をVRカメラで撮影したものです。VR動画を特徴づける視線誘導は一切ありません。

《The Resurgence of Jazz In New Orleans》は、指揮者へのインタビューパートと演奏パートから構成されていますが、そのどちらもVRカメラで撮影しなければならない積極的な理由は考えられそうにありません。視聴者には視線の自由がありますが、インタビューパートでは指揮者を、演奏パートでは演奏者を見る以外には意義が見出せません(楽曲は良質ですが)。

ANGERME(アンジュルム) 《【ゾクゾクッ♡】360°ささやきボイス | 360°Idol Whisper》




360度ライブ的トラディショナル型は、VRカメラの周囲を取り囲むようにして被写体(=アーティスト)を配置しているのが特徴です。ライブ的トラディショナル型では、被写体の配置が伝統的動画と同様な横一列に比べれば、VRというメディアに対して自覚的です。

被写体の配置がVRカメラを囲んでいるため、視聴者はドコを見てもアーティストのパフォーマンスを鑑賞することができます。がしかし、ドコを見ても同じようにしか見えません。360度ライブ的トラディショナル型の作品は、一見するとパノラマ型のような印象を受けます。しかしながら、パノラマ型では必須である視線誘導が発生していないのです。

パノラマ型の作品は、画面の変化が視線の誘導を誘発する仕組みになっています。そのため、視線を変えると画面の構図も変わります。対して、360度トラディショナル型では、視線を移すことによって変化するのは視線の先にある被写体です。360度ライブ的トラディショナル型の作品における視線の移行は、構造的には伝統的動画において注目する被写体を変える以上の意味はありません。いつドコを見ても、カメラの前に被写体がいるという構図は変わらないのです。

ANGERME(アンジュルム)の 《【ゾクゾクッ♡】360°ささやきボイス | 360°Idol Whisper》は、これまで説明してきた360度ライブ的トラディショナル型の典型的なミュージックビデオです。視線をドコに移しても、メンバーのキラキラしたパフォーマンスが見れます。

Voltaj《Din toata inima pentru Nationala Romaniei (Official 360° Video) 》




スナップ的トラディショナル型もまた、伝統的ミュージックビデオの演出をそのまま踏襲しています。踏襲しているのは、画面をまるでストリートスナップを撮影するかのように頻繁に切り替える演出です。伝統的な撮影方法との違いは、VRカメラを使うところだけです。

《Din toata inima pentru Nationala Romaniei (Official 360° Video) 》は、スナップ的トラディショナル型の典型的な作品例です。頻繁にシーン転換が発生しますが、視線誘導は一切起こらないので、視聴者はアーティストを見る以外にほかに見どころが見出せません。

トラディショナル型のミュージックビデオは、VRというメディアの特性を最大限には有効活用していない、といわざるをえません。そのなかでも360度ライブ的トラディショナル型だけは、VRミュージックビデオ特有の演出として発展する余地がありそうです。

次回の記事では、今まで紹介した4つのレトリックをまとめます。


VRミュージックビデオのレトリック ③ ドライブ型

今回の記事は、ドライブ型のVRミュージックビデオのレトリックを説明します。

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VRミュージックビデオのレトリック ③ 『ドライブ型』


ドライブ型』のVRミュージックビデオは、特定のアーティストやオブジェクトを被写体としていません。ドライブ型では、ビデオの全編にわたって画面がスクロールしているのです。画面がスクロールしているように感じられるのは、正確に言えば、カメラが絶えず移動しているからです。

以上のような映像技法にドライブ型という名前を付けたのは、この技法を使うと動画に疾走感=ドライブ感が生まれるからです。そのため、ドライブ型の演出が使われている楽曲は、音楽性が似ているように思われます。いわゆるドライブ感のある楽曲、さらにはテクノサウンドはドライブ型の演出に合います。反対に、エモーショナルなバラードは、ドライブ型の演出には不向きでしょう。

実のところ、ドライブ型のミュージックビデオはVR動画だけではなく、伝統的ミュージックビデオにも見られるものです。例えば、capsuleの《WORLD OF FANTASY》は、ほぼ全編にわたってドライブ型の演出がなされています。


ドライブ型の演出において、伝統的動画とVR動画を分つポイントは、視線誘導の有無です。VRミュージックビデオにおいては、以前のVR劇動画を論じた記事で採り上げたカメラドリー誘導が発生しているのです。

カメラドリー誘導とは、VR動画における表現技法のひとつで、カメラの向きを変えることによって視聴者の視線を誘導することを意味します。ドライブ型のVRミュージックビデオでカメラドリー誘導が使われると、視聴者は自ずとからだを旋回させて、カメラの進行方向と視線を一致させようとします。無論、視線誘導に逆らって同じ方向を見続けることも可能ですが、誘導に逆らうと面白みのない映像を見つめ続けなければなりません。

Squarepusher • ‘Stor Eiglass’ • YouTube 360



Squarepusher の《Stor Eiglass》は、典型的なドライブ型のVRミュージックビデオです。動画全編にわたりカートゥーン調のアニメーションが、カメラドリーによって映し出されています。楽曲の音楽性とドライブ型の演出に特有な躍動感が非常にマッチしているVRミュージックビデオになっています。

Hello Sleepwalkers 《【360°MV】ハーメルンはどのようにして笛を吹くのか 》



Hello Sleepwalkers の《【360°MV】ハーメルンはどのようにして笛を吹くのか》は、ドライブ型に演出された作品のなかでも、特異な特徴を有しています。通常ドライブ型のミュージックビデオでは、(おそらくは移動距離の長いVR撮影が物理的に困難であるという理由から)CG映像あるいはアニメーションを作品のベースとしています。

《【360°MV】ハーメルンはどのようにして笛を吹くのか》は、実写された新宿を多重露光したような映像がベースとなっています。さらには、視線誘導をカメラドリーだけではなく文字として視覚化した歌詞によっても行っています。

ちなみに、CGと視覚化された歌詞を組み合わせたドライブ型のVRミュージックビデオには、Luke Bryanの《Home Alone Tonight (Lyrics) - 360 Video ft. Karen Fairchild 》があります。


Icky Blossoms《Phantasmagoria (360° video) 》



Icky Blossomsの《Phantasmagoria (360° video) 》もまた典型的なドライブ型VRミュージックビデオです。CG映像をベースとして、カメラドリーによる視線誘導も挿入された作品となっています。視聴者は、ミュージックビデオを見終わるまでに、何度もからだを旋回させることになります。

ドライブ型のVRミュージックビデオは、CGが動画のベースとなっていることが多いという特徴のせいか、ともすれば似たような雰囲気の映像作品になりがちです。しかし、伝統的ミュージックビデオの歴史を鑑みれば、ドライブ型VRミュージックビデオにも多くの未踏の地があることは明白です。例えば、伝統的ミュージックビデオであるbjörkの《jóga》にインスパイアされてVR動画を制作するとなると、どのような作品になるでしょうか。
《jóga》には、パノラマ型に発展する雄壮さもありますし、ドライブ型と共通する疾走感も備えています。


次回の記事では、トラディショナル型のレトリックを解説します。

VRミュージックビデオのレトリック ② パノラマ型

今回の記事では、VRミュージックビデオのレトリックであるパノラマ型を解説します。

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VRミュージックビデオのレトリック ② 『パノラマ型』


パノラマ型』と命名したい技法が使われているVRミュージックビデオでは、視聴者の視線がドコかに誘導されることはありません。流れている楽曲を聴きながら、画面のいたるところを見て楽しむのがパノラマ型VRミュージックビデオの醍醐味です。

パノラマ型のレトリックが可能なのは、そもそもミュージックビデオ全般においては動画から特定の視覚情報を読み取る必然性がないからです。極端な話、目を閉じてミュージックビデオを視聴しても楽曲を鑑賞することができます。

パノラマ型のVRミュージックビデオでは、音楽とともに展開する映像のイリュージョンを見るとき、からだの旋回が要求されます。というより、からだを旋回させながらイリュージョンを見ることが、伝統的ミュージックビデオに見られるイリュージョンとの差別化となっています。

パノラマ型のVRミュージックビデオは、さらに2種類に分類することができます。ひとつめの種別が『集合的パノラマ型』です。この種別のミュージックビデオでは、視聴者はひとつのシーンに集められたVR動画を鑑賞することになります。

もうひとつの種別が『離散的パノラマ型』です。この種別の作品では、視聴者は複数に分割されたVR動画を鑑賞します。つまり、視聴者が見る角度によって、異なるイリュージョンが描写されているのです。

Mind Enterprises - Chapita (Official Video)




集合的パノラマ型のひとつめの作品例がMind Enterprisesの《Chapita》です。《Chapita》では、360度の視野に次々と女性パフォーマーが登場します。次第に女性パフォーマーの人数が増え、最終的には360度の視野全体が女性パフォーマーで覆われます。

視聴者は、はじめは順番に登場する女性パフォーマーを目で追い、視野が女性パフォーマーで覆われたあかつきには、その壮観な画面に没入するのです。

なお、《Chapita》にはメイキング映像が存在します。


Avicii - Waiting For Love (Jump VR Video)



集合的パノラマ型のふたつめの作品例がAvicii の《Waiting For Love》です。《Waiting For Love》では、視野角180度くらい—つまりはぎりぎり視野に収まらないくらい—に配置されたトビラがまず目に入ります。

動画が始まると、各トビラから次々とパフォーマーが現れダンスを披露します。パフォーマーたちは、時にはひとつのトビラの前に集合して、そのトビラに入って行きます。トビラによって構成される視野角が180度なので、視聴者はパフォーマーのダンスを見ようと思うと、絶えず頭を動かさなければなりません

Kyla La Grange - Hummingbird 360° Music Video



Kyla La Grange の《Hummingbird 360° Music Video 》は、離散的パノラマ型の作品です。視聴者は、見る角度によって異なるパフォーマンスをおこなっているKyla La Grange を見ることができます。

Run The Jewels - Crown (Official VR 360 Music Video)



離散的パノラマ型のもうひとつの作品例が、Run The Jewelsの《Crown (Official VR 360 Music Video) 》です。この作品では、視聴者の視野の回りに、それぞれ異なるキャラクターが配置され、演技をしています。それぞれのキャラクターのあいだには、直接的な関わりはありません。キャラクター間で会話をする等のアクションが起こらないのです。

ただ、視聴者を取り囲むイメージが全く無関係かというと、そうでもありません。《Crown》では、例えば戦争にまつわるイメージが視聴者の周囲に提示されるような演出がなされています。


余談ですが、ブログ作者は《Crown》を視聴して、X-menシリーズに登場するプロフェッサーXが使う装置セレブロを思い出しました。セレブロとは、プロフェッサーXのテレパシー能力を増幅する装置で、これを使えば世界中のミュータントを探知できるものです。X-menシリーズにおいて、セレブロを使うシーンはちょうど視野いっぱいにイメージが漂っているようなつくりになっています。このシーンの描写にVR動画を使うと、より迫力のあるものになるのではないでしょうか。

パノラマ型VRミュージックビデオは、特定のアーティストを映すこと、またストーリーテリングの必要がないので、最も制作上の制約が少ない動画ジャンルとなっています。それゆえ、今後も実験的な映像表現が試みられることが期待できます。

次回の記事では、ドライブ型のレトリックを解説します。

VRミュージックビデオのレトリック ① アクション型

今回の記事から4回にわたり、VRミュージックビデオの表現について、その構造を分析していきます。

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VRミュージックビデオのレトリックとは何か


今日のミュージックビデオでは、演奏しているアーティストを固定されたカメラで撮影するだけのような純粋なライブ動画はむしろ稀です。多くのミュージックビデオは、何らかの演出を目指して編集されています。

反対にVRミュージックビデオでは、固定されたカメラで撮影した純然たるライブ動画が多いようです。それでも、視聴者による視線のインタラクティヴ性というVR動画の特徴を意識して制作されたVRミュージックが存在します。

今回の記事から4回にわたり論じていくこととは、VRミュージックビデオに特有に見られる映像表現技法です。「VRミュージックビデオのレトリック」といった方が、ブログ作者の意図が正しく伝わるように思われます。

「レトリック」とは「修辞」あるいは「修辞学」と訳される、文芸における文章表現を意味する言葉です。例えば、何かに喩えてモノを表現する比喩(メタファー)がレトリックにあたります。修辞学においては、比喩にはどのような表現上の効果があるのか、ということが考察対象となります。このとき、具体的にどんなモノが比喩表現されているか、という側面は問題となりません。

「VRミュージックビデオのレトリック」ということでブログ作者が行いたいのは、VRミュージックビデオの表現形式を整理することです。逆から言えば、VRミュージックビデオで表現されている内容=楽曲について論じることはありません

VRミュージックビデオのレトリッックを論じることを通して、VR動画に特有な音楽表現を明らかにしたい、というのがブログ作者のねらいです。

VRミュージックビデオのレトリック ① 『アクション型』


まずはじめに紹介するレトリックは、『アクション型』と命名したい表現技法です。アクション型は、楽曲を演奏するアーティストが中心となって動画が制作されています。そのアーティストの何らかのアクションが、視聴者の視線を誘導します。つまり、本来はドコでも見ることができる視聴者が、アーティストの動きに注目することによって、自然と見るモノが限定されるのです。

アクション型のミュージックビデオを視聴する時は、ほぼ確実に180度以上の視線の旋回が発生します。というのも、からだを反対方向に回しながら視聴する体験こそが、VRミュージックビデオと伝統的なそれをはっきりと差別化するものだからです。

Noa Neal ‘Graffiti’ 4K 360° Music Video Clip



Noa Nealの《Graffiti》をフィーチャーしたVR動画は、典型的なアクション型のレトリックを採用しています。視聴者はドコでも見ることはできますが、最も注目しやすいNoa Nealを目で追ってしまいます。そして、ビデオの終盤には、大きく視線をパン(横に振ること)することになるのです。

《Graffiti》にはVR動画のほかに、伝統的動画によるミュージックビデオもあります。このふたつを見比べると、VR動画の特徴がよくわかります。


VR動画では、シーン転換のないワンシーンで作られています。ワンシーンで作ることによって、臨場感が高められているのです。シーン転換は、臨場感を重視するVR動画にとっては、扱いづらい表現技法なのです。

björk: stonemilker (360 degree virtual reality)



björkの《stonemilker》を収録したVRミュージックビデオは、アクション型のレトリックが徹底して使われています。視聴者は、björkを目で追うことによって、何度もからだを旋回させることになります。

《stonemilker》においては、1回だけシーン転換が起こります。ただこのシーン転換は、気づかない視聴者も少なくないように思われます。気づきにくい要因は、シーン転換の前後でビデオの光景があまり変わらないことと、何よりミュージックビデオでは動画の脈絡をあまり気にしなくてもよい、ということが考えられます。

Redfoo - Booty Man (Official 360° Music Video)



Redfooの《Booty Man 》は、これまで紹介したアクション型のVRミュージックビデオにさらに新しい演出を追加しています。

《Booty Man 》においても、Redfooを目で追うことで視聴者はからだを旋回させられます。そして、カラダを旋回させるたびに新しいシーンが登場するのです。

《Booty Man 》の撮影は、大きな撮影現場の中心にVRカメラを設置しています。そのカメラを中心にして、ちょうど円周上に複数の小規模なセットが用意されています。撮影は、Redfooがカメラを中心にして、ちょうどセットを渡り歩きながらアクションを起こすように行われます。

《Booty Man 》では、Redfooを目で追うことでシーン転換に近いことが起こります。ただし、Redfooから目を離して他の方向を見ると、アクションが起こっていないセットを見ることができるので、純粋なシーン転換ではありません。

Leah Dou - May Rain Official MV (360VR Version)



Leah Douの《May Rain》もまた、アーティストを目で追うアクション型のVRミュージックビデオです。

《May Rain》が特異なのは、Leah Douが(CGによって)複数画面に存在していることです。注目すべきアーティストが複数存在するので、視聴者にはある程度の視線の自由が与えられます。もっとも、複数存在するなかでも、もっとも注目すべきモノは何かは自然と分かります。

アクション型のVRミュージックビデオは、基本的にワンシーンで構成されています。ワンシーンで構成される理由としては、シーン転換が起こってしまうと、目で追うべきアーティストを探さなければならないので、その結果として視聴者を混乱させる恐れがあるから、と考えられます。

次回の記事では、パノラマ型のVRミュージックビデオについて論じます。

VR劇動画のナラトロジー ①〜④のレジュメ


今回の記事では、前回までに4回にわたって論じたVR劇動画のナラトロジーのレジュメを掲載します。         
  
   

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VR劇動画のナラトロジーの記事を書いたのは、あるクリエイティブ系ブログニュースサイトのライター募集に対する課題文を作成するために、資料つくりをはじめたのがきっかけでした。


ただ、資料がどんどん膨らんでいき、いっそのことブログの記事にしようと思ったのです。


肝心の課題文は、書き終えたVR劇動画のナラトロジーを下敷きにして完成させ、本日提出しました。


課題文は、4回の記事のレジュメとなっているので、記事として転載します。なお、文体がいつもの記事と違うのは、応募先のメディアに合わせたためです。


以下、課題文の転載


VR動画はストーリーを語ることができるか?


VRヘッドセットを着用して視聴するVR動画が、最近になって急速に普及しているのは、ご存知だと思います。VR動画とは、よくテレビで見る何やらイカついゴーグルをつけて見る動画のことです。テレビ映像では、ゴーグルをつけたタレントが「目が回る」と意味不明なことを言っていますが、一体何を見ているのかさっぱり分かりませんよね。あのゴーグルから見えているのは、視野いっぱいに広がる動画なんですよ。


VR動画は、単に視野いっぱいに動画が広がっているだけではないんです。首を上下左右にふると、その動きに合わせて何と動画の見え方も変わるんです。文字通り視野いっぱいにバーチャルな空間が広がる感覚は、もう体験した人にしか分からないインパクトがあります。


そんなVR動画は、今はジェットコースターを疑似体験したり、音楽をバーチャルで鑑賞したりするようなストーリー性がないライブ映像が多いんです。ただやっぱり映画ファンなら、VRヘッドセットを使って『アバター』『マッドマックス 怒りのデス•ロード』みたいな映画を見たいと思いますよね。


でもどうやらVR動画による映画制作は、一筋縄ではいかないみたいですよ。巨匠スピルバーグは、今年のカンヌ映画祭でVR動画が伝統的な映画作りの決まりごとを壊しかねない、みたいな発言をしているんです。


VRコンテンツ開発に関わっているあるアメリカ人エンジニアは、長文ブログサイトMedium記事を投稿して、ストーリーテリングとVR動画がもつドコでも見れるインタラクティヴ性は、水と油だとも言っています。まぁ、視聴者に好き勝手に見られちゃ、ストーリーは伝わらないですよね。


そうは言っても天下のGoogleVR映画制作に本腰を入れていてYouTubeに「Google Spotlight Stories」なんてチャンネルを立ち上げてるんですよ。そこで紹介されているVR動画を見ると、VRならではの映画演出めいたものを見れるんです。


『On Ice』は未来のスケートショーをテーマにしていて、画面を横切るように滑るスケーターを思わず目で追ってしまって、気づけばカラダをグルグル回しちゃってる始末。


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『On Ice』


あとトライベッカ映画祭に出品された『Invasion! Sneak Peek 360』なんかは、VR動画を見る時はイアフォンをしているから、物音が鳴ったほうを思わず見てしまうんですね。そしたら、見たところからキャラクターが出てくるうまい作りにになっているんですよ。


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『Invasion! Sneak Peek 360』


圧巻は『HELP』で、画面全体が動き出すんですよ。正確にはカメラの位置が動いているんだけど、動いた方向を思わず見てしまって、そしたらエイリアンが襲ってきて、という感じで今まで見たことないようなアクション映画。


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『HELP』


見逃せないのが『Pearl』で、VR動画には珍しくライブ動画ではなくて、父と娘の20年近い日々をある自動車の車内から見守る映画なんです。定点観測っぽい作りだけど、車内を絶えず見渡して、何が起こっているか確かめながら見るのが何とも斬新。


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『Pearl』


結局、VR動画による映画は伝統的な映画とゲームのちょうど中間みたいなコンテンツになると思うんですよ。つまり、視聴者にある程度の自由を認めたうえで、いかにストーリーを語っていくか、というところに作り手は頭を悩ますことになるんだろうなぁ、と。


IMAX社がVR映画の専用劇場をつくるみたいなニュースもあるから、きっとVR動画の未来は明るいはず。


課題文の転載ここまで

ご参考にしてください。


VR劇動画のナラトロジー ④ ストーリーシェアリング

今回の記事では、前回の記事で論じた「カメラ人称の主観化」が起こっているなかで違和感なくシーン転換を実行する技法であるストーリーシェアリングを説明します。

ストーリーシェアリングとは


VR劇動画においてはカメラ人称の主観化が起こるので、伝統的劇動画のように一意なコンテクストの指示に基づいたシーン転換も、時空の大きな飛躍を伴うシーン転換のどちらも困難です。

翻って、ではなぜ伝統的劇動画では時空を超えたシーン転換が可能なのでしょうか。その理由は、伝統的劇動画では一意なコンテンツの指示が可能であること、さらには三人称カメラによる客観描写ができるからです。

VR劇動画では、視野のインタラクティブ性から一意なコンテクストの指示も、完全な客観描写も不可能です。では、VR劇動画ではシーン転換は不可能なのでしょうか?

VR劇動画におけるシーン転換を実行するには、伝統的劇動画では当たり前だった「作り手が視聴者にコンテクストを提供する」という暗黙の了解から脱却しなければなりません。VR劇動画におけるシーン転換を成功させるためのひとつのアイデアとして、ストーリーのコンテクストを作り手と視聴者が共有=シェアする「ストーリーシェアリング」があります。

この「ストーリーをシェアする」というアプローチは、YouTubeのチャンネル「Google Spotlight Stories」で紹介された《HELP》を製作している(『ワイルド・スピード MAX 』等の監督として知られる)Justin Linがブログニュースサイトのインタビュー記事において述べています。ただ、インタビュー記事においては、「シェア」という言葉を使って感覚的に述べるに留まっています。以下に論じることは「ストーリーをシェアする」という事態をブログ作者なりに、整理し再構成したものです。

「VR劇動画に特有な視野のインンタラクティブ性を認めたうえで、作り手は視聴者が持っているストーリーに関与する自由を共有しながら、その自由があったとしてもコンテクストが破綻しないように映像を編集する」、これがストーリーシェアリングの大まかな定義です。

論より証拠というわけではありませんが、定義について説明を重ねるよりも具体例を見た方がすぐにわかります。

視点のシェア




《HELP》では、大胆なカメラドリーが行われています。このカメラドリーの結果、視聴者は視野の自由を奪われることなく、次々とシーンの転換を体験します

もしカメラドリーではなく、カメラのスイッチでシーン転換をはかったとしたら、視聴者はテレポーテーションしたかのような違和感を感じることでしょう。

カメラドリーによって、作り手と視聴者が共有しているのはカメラの位置です。もっとも、カメラ位置の共有は、《HELP》に限らずすべてのVR劇動画で生じていることです。

《HELP》の表現技法が巧みなのは、カメラドリーを用いてシーンの転換をはかると同時に、視聴者の視線の誘導も行っていることです(視線誘導については以前の記事を参照)。カメラドリーによって、視聴者は異なるシーンに移動すると同時に、異なるイベントを体験して、各シーンとイベントを統合するストーリーを形成するのです。


余談ですが、《HELP》を何度か見て、ブログ作者はVR劇動画ならではの鑑賞法に気づきました。カメラドリーによる視線誘導にあえて逆らって、作り手がおもに想定している視野とは別のアングルから動画を見るのです。少なくとも《HELP》の場合は、同じ動画を視聴しているにも関わらず、注目するポイントを変えただけでまるで違う動画を見ているように感じました。《HELP》では、迫り来るエイリアンに注目するか、そのエイリアンを迎え撃つ人間に注目するか、という2通りの見方ができます。そのどちらの見方でもストーリーが破綻することなく鑑賞することができます。この「同一作品における複数のコンテクストの許容性」は、VR劇動画を進化させる方向性のひとつかも知れません。

視野域のシェア




その圧倒的な没入感を生かすため、VR動画では動画の再生時間と同じ長さの出来事を見せるライブ動画が多数を占めています。最近よくテレビで目にするVRヘッドセットを使ってジェットコースターを疑似体験させるVR動画は、そうしたVRライブ動画の典型例です。

以前の記事でも批評したVR劇動画《Pearl》は、VR動画では珍しい(と思われる)動画の再生時間と表現しているストーリーの時間幅が一致しないものです。ところで、この再生時間と表現するストーリーの時間幅の不一致こそ、複雑なストーリーを表現している伝統的劇動画のスタンダードなのです。

《Pearl》において動画の再生時間と表現するストーリーの時間幅の不一致を可能としているのが、視野域のシェアです。

「視野域」とは、360度見回すことができるVR動画において、任意のカメラ位置から見える範囲のことを意味しています。視野域は、カメラ位置からちょうど半球上に広がっている範囲をイメージすれば、理解できるかと思われます。

《Pearl》では、視野域はある一台の自動車内に固定されています。視聴者は、動画の作り手と言わば視野域をシェアしているのです。この固定された視野域から、自動車内から見える光景の移ろいを目撃することを通して、父と娘の20年近くにわたる日々を見届けるのです。

こうした時間の飛躍を伴うシーン転換が可能になったのは、視野域を固定することによって、伝統的動画における定点観測と同様の効果が得られたからです。時間の異なるシーンに移っても、視聴者は同じ自動車内からの光景であると了解しているので、違和感なく5分に圧縮された20年の日々に没入できるのです。



蛇足ですが、《Pearl》に見られる定点観測的VR動画という形式は、応用範囲がかなり広いと思われます。例えば、住宅のVR動画CMを作ろうとするならば、家のどこかを固定された視野域にして、子供が成長する姿を見せれば、簡単に感動的な動画に仕上がることでしょう。

ストーリーシェアリングは、伝統的劇動画においては作り手の専有物である撮影あるいは編集の一部を、視聴者とシェアすることで実現するものです。技法の特徴としては、以前の記事で論じた視聴者の自由を制限する視線誘導とちょうど反対の価値をもちます。

撮影あるいは編集の一部を視聴者とシェアすることは、作り手の自由が奪われるという側面があります。ストーリーシェアリングという技法を突き詰めて、果たして伝統的劇動画に匹敵する自由なシーン転換を実現できるかは、現時点では答えることは不可能です。

「VR劇動画のナラトロジー」の射程


最新の映像テクノロジーであるVRヘッドセットによる動画視聴によって、伝統的劇動画を鑑賞することは可能です。しかし、そんな行為にいったいどんな意味があるのでしょうか。少なくとも、ブログ作者はそんな行為に意味を見出せないので、そんなことはしようとも思いません。

VR動画の最大の特徴は、視野のインタラクティブ性、言い換えれば視線の自由度にあります。今後、この特徴を生かしたVR動画が数多く制作され、VR動画は映像文化のジャンルとして繁栄する確率はかなり高いと思われます。

だがしかし、VR動画によってストーリーを表現しようとすると、ストーリーテリングとインタラクティブ性の対立を調和させるという困難な問題に挑まなければなりません。この問題は、ひとつの作品ごと、さらにはワンシーンごとに解決しなければなりません。

今後VR劇動画というジャンルが発展すると仮定すると、その発展過程は対立するストーリーテリングとインタラクティブ性の調和が多様になる歴史として記憶される、と言えます。

4回にわたって論じてきたVR劇動画のナラトロジーとは、ストーリーテリングとインタラクティブ性の調和を主題化して、体系的に整理するVR劇動画の映像文法あるいは修辞学を志向した言説です。

それゆえ、VR劇動画のナラトロジーは未完の映像理論です。今後、斬新な表現をそなえたVR劇動画が登場するたびに、記述の追加•更新が必要です。

今まで長々と読まれるあてもない記事を書いてきたのは、ブログ作者がVR劇動画に法外な期待を寄せているからです。

もしタイタニックの船首から大海原を見渡せたら、
もし天空に浮かぶ島を避けながら飛ぶ飛行機の操縦席に座れたなら、
もし火を噴くギターをかき鳴らすギタリストが乗る改造車が迫り来るのを間近で感じられるなら...


そんな妄想が頭から離れないのです(ひとによっては「美少女が自分の回りで踊り舞う」という妄想が方が切実かも知れません)。

ブログ作者自らがおのれの妄想を実現するためにVR劇動画制作を始めることはできなくとも、VR劇動画が進化するために一人の視聴者として市場に参加し、また一人の批評家としてつまらない方向に進化しないようにイチャモンをつけることはできそうです。

他の記事に言えることですが、ブログ作者は記事が読まれるかどうかはあまり気にしていません。ただ書きたいから書いているのです。それでも、自分以外の誰かの役に立つことがあるのが、インターネット普及以降の世界(=AI:After Internet)なのです。

VR劇動画のナラトロジー ③ カメラ人称の主観化

今回の記事は、VR劇動画におけるシーン転換をめぐる問題を論じます。

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カメラの人称とは何か


シーン転換をめぐるVR劇動画に特有な問題を明らかにする下準備として、カメラの人称という概念を振り返ります。

カメラの人称とは、劇動画においてカメラが見せる映像が誰の視点からのものか、という観点からカメラの位置を区別する概念です。カメラの人称には、一人称カメラと三人称カメラがあります。

一人称カメラとは、カメラが見せる映像が劇中のキャラクターが見ている光景と一致しているときのカメラの位置のことです。視聴者が見ている映像は、劇中のキャラクターから見えている光景と一致するので、効果的に挿入すると臨場感が生まれます。また、一人称カメラで見せる映像では、見えているキャラクターがカメラに向かって(話しかけてく等の)アクションを起こすことを許容します。一人称カメラの表現の代表例は、いわゆる切り返しを伴う対話シーンです。

三人称カメラとは、カメラが見せる映像が劇中のどのキャラクターからも見ることができない「客観的な」カメラの位置のことです。劇動画の多くの映像、および報道映像をはじめとした劇動画以外の動画の映像は、三人称カメラによる映像です。劇動画においては、劇中のキャラクターは三人称カメラの位置に撮影スタッフがいるとは思わないで振舞うのが原則です。この原則により、三人称カメラの場合、劇中キャラクターがカメラに向かって話しかけたりはしません。

具体例にみるカメラ人称の違い


一人称カメラと三人称カメラを素早く切り替えて印象的な演出をしている映画のシーンをたまたま見つけました。そのシーンを引き合いに出せば、カメラの人称がよくわかります。

《アントマン》は、主人公スコットがアリの大きさほどに変身できるスーツ「アントマンスーツ」を着用して活躍する映画です。紹介したいシーンは、スコットがバスルームではじめてアントマンに変身するシーンです。

スーツを着たスコットがグローブにあるボタンを押すと、たちまちカラダが小さくなります。映画ではエフェクトを伴った三人称カメラで描写されます(本記事キービジュアル)。

変身直後、バスルームにスコットの仲間のルイスが来て、スコットがいることが気づかずにバスタブに水を入れます(画像2参照)。この映像は、明らかに小さくなったスコットから見た一人称カメラです。


蛇口をひねるルイスの手を見せた直後、今度はバスタブに流された水から逃げるスコットが映されます(画像3参照)。この映像は、小さくなったスコットが被写体となっているので、すぐに三人称カメラだとわかります。

このシーンは時間にして1分にも満たないです。伝統的劇動画がすばやくカメラの人称を切り替えられるのは、カメラの人称を識別する視覚情報を視聴者に適切に提供することができるからです。

VR劇動画で起こる「カメラ人称の主観化」


VR劇動画においても、一人称カメラと三人称カメラを用いることができます。しかし、VR動画の場合には、視野のインタラクティヴ性に起因する特有の問題が発生します。

伝統的動画においては、三人称カメラは特定の誰の視野でもない、という原則がありました。この原則は、三人称カメラはカメラマンの視野ですらない、ということも含意しています。三人称カメラは、正確には非人称カメラというほうが、事態を正しく表現しています。視聴者は、三人称カメラが誰の視野でもなく「客観的に」光景を映しているからこそ、ストーリーさえ理解していれば、時空の飛躍を伴うカメラスイッチを違和感なく受け入れられるのです。

VR劇動画においては、三人称カメラであっても、視聴者は任意に視野を変えることができます。この視野のインタラクティヴ性は、視聴者に不可避的に「自分の」視野であるという印象を与えます。また同時に視野のインタラクティブ性に起因して、三人称カメラがまるで一人称カメラのように感じられてしまいます。言って見れば、視聴者は劇が繰り広げられている虚構空間に、他のキャラクターと一緒に居合わせているような没入感を得るのです。

しかしながら、VR劇動画においてどんなに強い没入感を得たとしても、劇中のキャラクターが視聴者であるという認識を持ちながら話しかける等のアクションを起こさない限り、そのカメラ人称は三人称カメラです。VR劇動画においては、動画の映像=見えに視聴者が半ば関与しているため、完全な「客観」カメラの位置にたつことが原理的に不可能なのです。以上のようなVR劇動画に特有に起こるカメラ人称の変化を、VR劇動画における「カメラ人称の主観化」と名づけます。

以前、VR劇動画《Pearl》を論じた記事で、ブログ作者は《Pearl》のカメラの人称を一人称だと論じました。しかし、この分析は間違いです。《Pearl》のカメラは三人称です。なぜならば、映像中のキャラクターがカメラ=視聴者(=ブログ作者)に向かって何のアクションも起こさないからです。こうした間違いが起こったのは、ブログ作者がカメラ人称の主観化という概念に思い至ってなかったからです。

カメラ人称の主観化が引き起こす問題


カメラ人称の主観化による影響を蒙る映像技法は、シーン転換です。このシーン転換への影響はふたつの観点から指摘できます。

コンテクストミッシング


ひとつめの観点は、視聴者がコンテクストを理解せずにシーン転換が起こった時に生じる違和感です。シーン転換は、前後の文脈を理解していなければ、互いに独立したシーンの寄せ集めになってしまい、ひとつのストーリーの一部分であるという認識に至りません。

このコンテクスト欠落による違和感は、伝統的劇動画でも起こり得ることです。伝統的劇動画で、実際にこのような違和感が起こらないのは、単に違和感なく撮影•編集しているだけにすぎません。しかし、VR劇動画においては、視聴者は自分の好きなところを見れるので、コンテクスト理解に必要な視覚情報を見落とす可能性が格段に大きいのです。

疑似テレポーテーション


ふたつめの観点の方がより深刻です。VR劇動画においては、視聴者はカメラが映す光景を不可避的に「私」から見た景色と感じてしまうので、伝統的劇動画に見られるような時空を超えたシーン転換が起こると、まるで瞬間移動=テレポーテーションが起こったように感じる危険性があるのです。

VR劇動画では、視野のインタラクティブ性により伝統的劇動画では感じられなかった格別な没入感がもたらされます。だがその引き換えに、カメラ人称の主観化という厄介な現象を招いてしまっているのです。

次回の記事では、主観化されたカメラを用いてシーン転換をはかる技法であるストーリーシェアリングについて論じます。


VR劇動画のナラトロジー ② 視線誘導

前回の記事において、VR劇動画が克服すべき問題とは、ストーリーテリングとVR動画特有のインタラクティブ性を調和させることであることを確認しました。今回の記事では、視聴者をストーリーに引き込む視線誘導について論じます。

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「視線誘導」とは何か


ストーリーテリングとインタラクティブ性の対立が深刻なのは、ストーリーを理解するうえで見なければならないモノを、視聴者が見ない可能性があることに起因します。伝統的劇動画は、視聴者に言わば強制的にモノを見せることで、ストーリーを理解させるのに成功してきました。

VR劇動画において、視聴者の「見る自由」を奪うことなくストーリーを理解するうえで見るべきものを見せる技法が「視線誘導」です。視線誘導とは、人間のプリミティブなリアクションを利用して、視線を見せたいモノに誘導する技法です。この技法にブログ作者が気づいたのは、前回の記事で引用したMediumに掲載されているǝʞıɯlǝʇɹɐɔの記事において、「視聴者の注意をVRコンテンツの一部に向けさせるために、音声やアクションを設計した」という記述を読んだことがきっかけでした。

現時点でブログ作者が確認できた視線誘導は、以下のような人間の自然なリアクションを利用して視聴者の注意を制御しています。

 ヒトは、見えている光景のなかで動いているモノを目で追ってしまう
 ヒトは、物音がした方向を見てしまう
 ヒトは、移動する方向に対して前方を見てしまう


以上のリアクションは、言われてみればすべて当たり前のように思われるでしょう。まさにその当たり前のリアクションを利用して、視聴者の視線を誘導するのです。次には、具体的な作品を見ながら、各リアクションを活用した視線誘導を説明します。

視線誘導のテクニック その1 「アクション誘導」


動いているモノをつい目で追ってしまうリアクションを利用して、視聴者の視線を誘導する技法がアクション誘導です。この技法はほぼ全てのVR劇動画で見られますが、もっとも分かり易い作品例は、Google Spotlight Storiesで紹介されている《ON ICE》です。


《ON ICE》は、未来のアイスショーをテーマにしたショートフィルムです。いわゆるストーリー性には乏しい作品ですが、アイスショーに登場するキャラクターが行うアクションの推移を楽しむことができます。視聴者は固定されたカメラ位置から、キャラクターの動きを追っていきます。キャラクターたちは、カメラの位置=視聴者のバーチャルな位置を中心にして円運動を繰り返すので、視聴者は何度もからだを旋回させることになります。現実にはアイスリンクのうえに立ってアイスショーを見ることはできないので、《ON ICE》は現実には不可能な視点からアイスショーを見せる文字通りバーチャルな体験をさせてくれます。

視線誘導のテクニック その2 「音声誘導」


物音が鳴ったら思わずそちらを見てしまうリアクションを利用したのが、音声誘導です。音声誘導を利用している作品例には、トライベッカ映画祭に出品されたVR劇動画《Invasion! Sneak Peek 360》、そして(ブログ作者は確認していませんが)多くのホラー劇動画で挙げられます。


《Invasion! Sneak Peek 360》は、凍結した湖面上がストーリーの舞台となります。湖面上に次々とストーリーテリングを担うキャラクターが現れるのですが、それらの登場のすべてに音声誘導が使われています。視聴者は音がした方向を思わず見ると、そこにキャラクターが登場するのです。

VR動画では、視覚的なインタラクティブ性に注目されがちですが、実のところ音声も臨場感を盛り上げる重要な要素です。見ている対象がいる方向や距離は、視覚だけではなく聴覚から得る情報からも理解されるのです。

視線誘導のテクニック その3 「カメラドリー誘導」


ふつうのヒトは歩く時、視線は進行方向に対して前方に定めます。目の焦点が身体の前方に合うようになっているというヒトの解剖学特徴が、移動時の視線の制約条件となっています。こうした視線の制約を利用するのが、カメラドリー誘導です。カメラ位置が何らかの方向に移動し始めると、視聴者は移動方向が前方になるように首を振ります。左方向に移動が始まると、思わず左を向いてしまうのです。

カメラドリー誘導を効果的に利用している作品には、Google Spotlight Storiesで紹介されている《HELP》があります。《HELP》では、隕石落下とともに飛来したエイリアンからの逃走が、VR動画ならでは臨場感を伴いながらストーリーとして展開されています。


《HELP》のなかでは、カメラドリー誘導とアクション誘導が同時に起こっているシーンがあります。こうした複数の誘導が発生した時は、誘導の優先順位があるようです。《HELP》では、アクション誘導がカメラドリー誘導に対して優先的に働いています。こうした優先順位が、絶対的なものなのか、それとも相対的なものなのかは、今後さらなる作品の分析を経て明らかになるでしょう。

視線誘導全般に共通していることは、インタラクティブ性に制約を与え、制約を与えた効果としてストーリーテリングを優先させていることです。視線誘導を多用し過ぎると、視聴者は文字通り動画に振り回されて疲れてしまうでしょう。

視線誘導の有効範囲


視線誘導を成功させるためには、視聴者に誘導のきっかけを知覚してもらわなければなりません。こうした理由から、視線誘導が起こりうる範囲は誘導のトリガーが知覚できる範囲に限られます。この誘導トリガーが知覚できる範囲は、視聴者の知覚できる範囲に一致し、さらにはカメラによる撮影可能範囲と重なります。視聴者の知覚可能範囲とカメラの撮影可能範囲が一致するのは、視聴者がカメラを任意に操作できるVR動画特有の特徴から導かれる当然の帰結です。そして、カメラ撮影可能範囲がVR劇動画におけるワンシーンの範囲となります。

結局のところ、視線誘導を利用できるのはワンシーンに限られるのです。視線誘導によって、シーン転換はできません。一見するとカメラドリー誘導がシーン転換に相当するように思われがちですが、カメラドリー誘導において起こっていることは、撮影可能範囲の移動のみです。シーンの転換が起こるには、撮影可能範囲の変化に加えて、新たなイベントの発生が必要です。

VR劇動画におけるシーン転換には、伝統的劇動画にはなかった問題がはらまれています。次回の記事では、VR劇動画におけるシーン転換時の問題点を論じます。


VR劇動画のナラトロジー ① ストーリーテリングとインタラクティヴ性の対立

今回の記事から4回にわたって、VR劇動画についてのナラトロジー(物語)を展開します。一部内容が前回の記事と重複します。

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VR劇動画のナラトロジーとは?


本記事のリードで使った言葉には、説明が必要でしょう。まず、「VR劇動画」とは、VRヘッドセットを使って視聴するいわゆるVR動画のあるジャンルを指しています。そのジャンルとは、ストーリーを表現するものです。「劇」という言葉でジャンルを識別させているのは、映画においてストーリー映画とドキュメンタリー映画を区別する場合に、伝統的に「劇映画」という習わしを踏襲しているからです。

ナラトロジー(narratology)」という言葉は、馴染みのない人がほとんどだと思われます。ナラトロジーは、通常は20世紀のフランスで活躍した文芸批評家ジェラール•ジュネットが論じた物語論の訳語として使われます。この「物語論」とは、小説によって表現されている内容ではなく、内容を表現する形式に着目して、その表現形式の構造を分析する文学理論のことです(詳しくはwikipediaの「物語論」を参照)。ちなみに、本記事で「物語論」ではなく「ナラトロジー」という言葉を使うのは、「物語論」というとストーリーの内容を論じた言説という印象が拭えないからです。

以上をふまえると「VR劇動画のナラトロジー」とは、ストーリーを表現するVR動画を批評対象として、そのストーリーを表現する形式の構造を分析する言説、ということになります。喩えを用いるならば、VR劇動画の映像批評ではなく、文法あるいは修辞学を展開したいのです。

なお、今後VR劇動画のナラトロジーを論じる際に、VRヘッドセットを使わずに視聴する既存の映画を「伝統的動画」と表現します。

VR劇動画がもたらす臨場感


まず、そもそも現時点で「VR劇動画」なるものが存在するか、という問いに対しては、確かに存在すると答えることができます。YouTubeの「Google Spotlight Stories」というチャンネルには、少ないながらVR劇動画が並んでいます。また2015年のトライベッカ映画祭では、いくつかのVR劇動画が出品されています。

現在確認できるVR劇動画は、確かにストーリーを伝えています。しかし、VR劇動画が伝統的劇動画と何ら異なることがないならば、VR劇動画はその存在意義に乏しいと言わざるをえないのは明白です。メディア体験として大差ないのに、わざわざVRヘッドセットを着用して動画を視聴する理由などないはずです。それでは、VR劇動画でしか味わえないメディア体験、あるいは語りとは何でしょうか。

「劇」というジャンルを一時離れて、VR動画全般と伝統的動画を比較すると、そのメディア体験の違いとは視聴者によるカメラワークの可用性(Camera work Availability by Audience)にあります。VR動画の視聴者は、頭を動かして見上げたりあるいは見下ろすと(tilt)、さらには首を左右にふると(pan)、その視線の変化に連動して画像が変わります。この視線に連動した画像変化が、VR動画でしか体験できないバーチャルな臨場感をもたらすのです。こうしたVR動画特有のメディア体験は、VR動画のインタラクティブ性ということができます。

VR劇動画が克服すべき問題


VR動画のインタラクティブ性は、例えば報道動画では威力をいかんなく発揮します。VR報道動画の例には、YouTubeのBBC News Labsが制作している一連の動画があります。

しかし、ストーリーを表現する劇動画では、視聴者によるカメラワークの可用性が伝えるべきストーリーを脅かすものとして働いてしまいます。伝統的劇動画では、複雑なストーリーを伝えるために、作り手がカメラワークを制御して視聴者に適切な視覚情報を提供していました。視聴者は、画面の中央に焦点を合わせて視覚情報を得ていれば、ストーリーが自然とわかるように作られているのです。対して、VR動画では視聴者が自由に焦点を変えることができます。その結果、動画の作り手が見て欲しい視覚情報を見ないかも知れないのです。こうした視聴者がストーリーの脇道にそれる危険性を、伝統的映画監督の巨匠スピルバーグは、いち早く気づきました

長文英語ブログサイトMediumには、VR動画のストーリーテリングについて論じた記事『なぜ現状のVRの「ストーリーテリング」はうまくいってないのか、はたしてそれはうまくいくものなのか』(Why VR “Storytelling” does not currently work. And can it ever work?)が掲載されています。この記事では、VR動画特有のメディア体験がストーリーテリングと対立する特徴をもっていることを分析しています。

ノンゲームのVRコンテンツの開発者である記事の作者ǝʞıɯlǝʇɹɐɔ(cartelmikeの上下反転綴り)は、ストーリーテリングの原風景は焚き木を囲んでの昔話語りにもとめています。焚き木を囲んでの昔話語りの特徴は、以下のようにまとめられます。

 • 話す内容は、既に終わっており現在起こっているわけではないこと
  (内容の完結性)

 • 話し手と聞き手という役割(role)が厳格に決まっていること
  (roleの不変性)

 • はじめ、中間、終わりと順番に話を聞く必要があること
  (内容の時間的不可逆性)

この昔話語りの構造は、メディアの進化を通じてずっと維持されてきました。ストーリーテリングを伴うメディアは、歴史的には演劇、小説、映画と変遷してきましたが、そのいずれにもうえに挙げた特徴が当てはまります。

対して、VR動画のインタラクティブ性がもたらす特徴は、以下のようなものです。

 • リアルタイムに内容が変わる
  (内容の流動性)

 • ストーリーの聞き手は内容に関与できるので、半ば作り手である
  (roleの可変性)

 •見る順番を変えられる(あっちを見てこっち、こっちを見てあっち)
  (内容の空間的可逆性)

ストーリーテリングとVR動画のインタラクティブ性の特徴を表にまとめると、互いに対立していることが一目瞭然です。

ストーリーテリング インタラクティヴ性
内容の完結性 内容の流動性
roleの不変性 roleの可変性
内容の時間的不可逆性 内容の空間的可逆性

ストーリーテリングとインタラクティブ性の対立の歴史


このストーリーテリングとVR動画特有のインタラクティブ性の対立は、実はコンピュータが可能にしたインタラクティブなメディア体験とコンピュータ以前のメディア体験が交差する領域において発生する普遍的な現象です。

ストーリーテリングとインタラクティヴ性の対立の例として良く知られているのが、RPGにおけるストーリーとゲームシステムをめぐる論争です。そのほかの例には、電子書籍が登場した時に新しいストーリー体験を目指して開発されたブックアプリがあります。app storeから『元素図鑑』がリリースされた時、そのインタラクティブ性を最大限に活用したメディア体験に世間(そしてブログ作者も)は驚きました。ただ『元素図鑑』がブックアプリとして成功した原因は、図鑑というストーリーテリングを伴わない内容を扱っていたからです。

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画像や音声を文字と等価なストーリーテリングの構成要素として、新しい語りを目指したブックアプリ『火山人間』。世界的に評価されたブックアプリだが、現在ではこうした試みは途絶えてしまっている。

文芸においては、結局は「豪華な挿絵」を実装したブックアプリしかリリースされませんでした。こうした文芸的ブックアプリの失敗は、ストーリーテリングとインタラクティブ性にあいだに横たわる溝を埋めるのがいかに困難かを物語っています。

話を戻すと、これから伝統的動画には還元されないメディア体験を伴ったVR劇動画を作ろうとするならば、ストーリーテリングとVR動画特有のインタラクティブ性を調和させるような表現技法が必要になるのです。

次回の記事では、VR劇動画におけるストーリーテリングとインタラクティブ性を調和させると技法である「視線誘導」を作品を引用しながら論じます。


プロフィール

吉本幸記

Author:吉本幸記
元エンジニアのフリーライター。テクノロジー系の記事を執筆している。アートにも関心がある。美術検定3級取得

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