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『〈インターネット〉の次に来るもの』「BECOMING」インデックス ② ビジネス/エピソード/データ参照

今回の記事は、『〈インターネット〉の次に来るもの』「BECOMING」のインデックス集のうち、ビジネス、エピソード、統計データ等参照をまとめます。

アーミッシュの家族

引用文末尾の番号は、Kindle版
『〈インターネット〉の次に来るもの』の位置No.です。なお引用文中の強調部分は、ブログ作者によるものです。

企業とビジネス


「アーミッシュのウェブサイトがあるんですか?」
「家業の宣伝用にね。 店ではバーベキュー用のグリルを溶接してるんです」
「そうですか、 しかし……」
ああ、ネット用の端末は、公共図書館にあるものを使っていますよ 」(516)


エピソード


・「(1990年代の)ワイアードではそういうコンテンツ (ウェブコンテンツ)は、 古い化石となったABC のようなメディアではなく、 ニンテンドーやヤフーといった新星たちが行なうと期待していた」(369)

・「いまでは信じられないが、1991年まではインターネットで商売を行なうことは厳禁だったのだ」(381)

・「当時(インターネット黎明期)は、先に挙げたようなリスト(多様なウェブサービス)が近未来に実現すると愚かにも喧伝する者には、これほどの寛大なサービスを提供するには世界中の企業が投資してもお金が足りないという証拠が叩きつけられた」(451)

・「われわれが見落としていたことは、このすばらしい新オンライン世界が、大きな組織ではなくユーザーによって作り上げられたことだ」(463)

・「1994年になってワイアードのライターがmcdonalds. comがまだ取られていないことに気き、 私の勧めもあって登録した。 その後にマクドナルド社に渡すのに失敗したが、 マクドナルド社のネットに対する無知さは大変なもので( ドットって何ですかと訊かれた)、この話はワイアードにも掲載されて有名になった」(556)
"
Billions Registered"

記事・書籍・データの引用


・「電話アプリの平均寿命はたったの30日だ!」(234)
"Pinch Media Data Shows the Average Shelf Life of an iPhone App Is Less Than 30 Days" (英文)

・「Pinch Mediaの調査によると、iPhoneアプリケーションの平均「賞味期間」は30日未満」(日本語)

・「2世紀前の海賊のように、実際には見かけよりずっと掟や秩序が支配している」(267)
海賊の経済学 ―見えざるフックの秘密


黎明期のインターネットへの反感と誤解



・「グラフィックスを駆使したネットスケープのブラウザーが1994年に注目されるまでテキストのみで運用されていたインターネットは、 ほとんどの人には存在しないも同然だった」(325)
起業家 ジム・クラーク


・「1994年の暮れにはタイム誌が、 インターネットはなぜ主流になれないかを説明する記事を掲載した」(336)
"
Battle for the Soul of the Internet"

・「ニューズウィーク誌は1995年2月号の見出しで、 そうした疑念をもっとあからさまに謳っている。「 インターネット?  なんだそれ!」」(336)
"
Why the Web Won' t Be Nirvana"

・「ABCの上級副社長のスティーブ・ワイズワッサーがとどめを刺した。 彼は「インターネットは90年代のアマチュア無線のようなものになるだろう」と私に語り、それと同じことをのちにマスコミにも繰り返し言っていた」(351)
"
The Internet: CB Radio of the 90's?"

膨張したインターネット



・「ウェブのページの総数は、一時的に作られたものも含めて60兆を超える」(434)
"
How Search Works"

・「一般ユーザーを最大限活用しているのがグーグルで、毎月900億回の検索によるトラフィックやリンクパターンを使って新しい経済を生み出す知能を作り出している」(474-475)
"
How Google Search Dealt with Mobile"

・「2000年代の頭に急に5000万ものブログが、毎秒二つのペースで立ち上がるのを目撃したのは大きな衝撃だった」(476)
"
State of the Blogosphere, August 2006"

・「2015年にはユーチューブに毎分6万5000本300時間分もの動画がアップされるようになった」(487)
"
YouTube Serves Up 100 Million Videos a Day Online"
"
Statistics, YouTube, April 2015"

・「2002年には女性のオンライン利用人口が男性を上回ったのに、誰もそれを祝おうとはしなかった」(502)
"
How Women and Men Use the Internet: Part 2 ─ Demographics"

・「現在ではネット市民の51%が女性なのだ」(502)
以下を基に計算
"
Internet User Demographics: Internet Users in 2014"

・「2014年におけるネット利用者の平均年齢は、44歳といういい年をした中年なのだ」(516)
以下の2つのデータを使って算出
"
Internet User Demographics, Pew Research Center, 2014"
"
2014 Population Estimates"

残りの章についても、インデックスをコツコツ作ってブログにアップします。


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『〈インターネット〉の次に来るもの』「BECOMING」インデックス ①

今日の記事は、『〈インターネット〉の次に来るもの』の「BECOMING」のインデックスを公開します。

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Microsoftが開発中のARデバイス「Hololens」

最近『〈インターネット〉の次に来るもの』を読み終えて、まさに天啓を受けたかのような衝撃が全身に走りました。

読んだ方ならわかると思いますが、同書には圧倒的な事例とアイデアが幅広い分野にわたり展開されています。そうした情報へのアクセスが、Kindle版にしろ書籍版にしろ(著者のケリー氏の責任ではありませんが)あまり便利ではないのが実情です。

そこで、同書で言及されているデータ、記事、アイデア等をカテゴリー別に分けてインデックス化してみました。

自分の理解を深めると同時に、誰かの役に立つことを願い、インデックスをブログで公開することにします。

今回は「BECOMING」インデックスです。引用文の後の数字は、Kindle版の位置Noです。なお、引用文中の太字はブログ作者による強調です。

至らない部分ばかりのインデックスですが、「とりあえずやってみる」精神こそが『〈インターネット〉の次に来るもの』から学んだいちばん良いことなので、ご容赦してください。


未来像



・「2050年のウェブは、最初のウェブがチャンネル数の多いテレビでなかったように、より優れたウェブではない。それは何か新しい、最初のウェブとテレビの違いほどかけ離れた、 まるで違ったものになるのだろう」(516-528)

・「現状では、フェイスブックの中で起こる多くのことや、電話アプリ、ゲームの中の世界、 動画の中味は検索できない。しかしこれから30年経てば、それも可能になるだろう」(528)

・「製品に組み込まれた無料同然の安いチップがそれらをウェブにつなげ、データを結び付けるのだ」(528)

・「主なウェブサイトの昔のバージョンを見ることも簡単ではないが、30年すればどんな昔の姿も垣間見ることができる機能があるだろう」(540)

・「あなたが朝起きた瞬間から、ウェブはあなたの意図を読み取ろうとする」(540)

・「2050年にはわれわれにとってウェブは、常時存在している会話の一種のようなものになるだろう」(551)

・「どんな分野のものも自由に選んで、ちょっとA I機能を付けて、クラウドに置いておくだけでよかったんだよ!」(580)

アイデア


<なっていく(becoming)>の特徴



・「アップグレードはある種の衛生手段」(207)

・「この〈 なっていく〉 世界では、誰もが初心者になってしまう。もっと悪いことに、永遠に初心者のままなのだ」(220)

・「われわれは心に渇望感を持たない限り、自分や集団の自我を拡張することができない」(247)

・「ディストピア的なシナリオの欠陥は、それらが持続的でないということだ」(259)

・「現実のディストピアは『 マッドマックス』の描く世界というよりソビエト連邦に近く、そこは無法地帯というより息が詰まるような官僚主義が支配している」(272)

・「プロトピアは目的地というより、ある状態に〈なっていく〉ことを指す言葉だ。 つまりプロセスだ」(279-280)

・「現在の見方を将来にそのまま当てはめることで、実際には新しいことをすでに知っているもの に当てはめようとして歪めることになる。最初の映画が劇場での芝居のように撮影され、 最初のVRが映画のよう作られたのはそのためだ」(301)

インターネットの起源



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バネバー・ブッシュが考案した拡張記憶装置「Memex」

・「コンピューターのパイオニアであるバネバー・ブッシュが、 ウェブの中核的な考えとなるハイパーリンクのアイデアを構想したのは1945年に遡る」(393)
"As We May Think"(英文)
考えてみるに』(日本語)

・「この概念(ハイパーリンク) を最初に補強しようと考えたのはテッド・ネルソンという自由思想家 で、 1965年に独自の方式を構想した」(403)
リテラリーマシン―ハイパーテキスト原論

未来から見れば現在はフロンティア



・「もしわれわれがタイムマシンに乗って30年後に行って、現在を振り返ってみたとすると、 2050年の市民の生活を支えているすばらしいプロダクトのほとんどは、2016年には出現していないことに気づくだろう」(568)

・「未来の人々はホロデックやウェアラブルなVRコンタクトレンズ、ダウンロードできるアバター、 A Iインターフェースなどを見ながら、「 あぁ、あの頃には、インターネット( その頃は何と呼んでいるのか知らないが)なんて、まるでなかったんだね」と言うだろう」 (568)

・「われわれが作るものは、恒常的に、休むことなく別のものに〈なっていく〉ものだ」(593)
・「今日こそが本当に、 広く開かれたフロンティア なのだ。 われわれは 皆〈なっていく〉。 人間の歴史の中で、これほど始めるのに最高のときはない」(593)

「BECOMING」のインデックスは、もうひとつの記事で完結します。

ケヴィン・ケリー 講演会 感想 & 報告

今回の記事は、昨日参加したケヴィン・ケリー氏の講演会の報告と感想を書きます。

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Tech界最強の導師の来日


WIZED主催で都内某所(WIREDの意向で開催場所の拡散不可)で行われたケリー氏の講演会は、新刊『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』の出版を記念して行われました。

参加者は200人以上で、ほぼ満員。男女比は男が9割弱、女が1割強。年齢構成は20代が最も多く6〜7割、残りが30〜40代で50代以上は見かけませんでした。

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実物のケリー氏を見て思ったことは、「現代のジェダイ・マスター」。あごひげをたくわえ、よどみなく話す姿を見て、ジェダイの服を着たらサマになるなぁ、と思わず妄想しました。

講演では、新刊で論じている人工知能、VR、情報管理についてケリー氏本人が解説しました。

知能に関するコペルニクス的転回


人工知能は、その進化が目覚ましい一方で、脅威論もかまびすしいのは周知の通りですが、ケリー氏は知能に関するドグマを指摘します。ヒトが知能について考えるとき、知能の基準を人間におき、ヒトより劣った動物、ヒトを凌駕するかも知れない人工知能という構図で捉えがちです。ケリー氏は、そもそも人間の知能を標準型として捉えるのが間違いである、と述べます。

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ケリー氏が提唱する新しい知能モデルは、「ハーモニーモデル」とでも呼べるものです。知能は知覚をはじめとして身体能力、思考力など様々な要素のかたまりのようなもので、ケリー氏は「知能は多くの音色が集まったようなもの」と表現します。このハーモニーモデルから見ると、知能における動物と人間の違いとは、音色の違いであって優劣ではないのです。

ハーモニーモデルでさらに重要なのは、すべての要素が優れている万能な知能など存在しない、という見解です。ある要素を強めるとほかの要素が弱まったり、ある要素が弱いがために違う要素が強くなる、というのが知能の実情なのです。

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人工知能開発で重要なことは、人間の上位互換のようなメタ・ヒューマンを目指すのではなく(そんなものは存在できない)、色々な音色の人工知能を作って知能の多様性を豊かにすることだと、ケリー氏は主張します。

経験を貨幣化するVR


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VRとケリー氏の関係は深く、ケリー氏はVRヘッドセットを1989年に体験していたとのこと。ただ当時のVRヘッドセットは使用環境を構築するのに100万ドルかかったので、当然ながら普及しませんでした。時代がくだって今日VRヘッドセットがブームなのは、価格が安くなったことが決定的要因なのです。

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VRが普及すると起こるのは、現在インターネット等で消費している情報がよりリアルになり、全身と相互作用する経験になることです。そのうえでケリー氏は、将来的には経験がインターネット上を流れる貨幣のようなものになる、と予想しています。

この「VRとしての経験の貨幣化」は、すでに現在でもその兆候を見ることができます。例えばYouTuberは何を売っているかと言えば、映像化された本人の経験です。現在、経験をインターネットで流通可能とする主要な技術は映像ですが、将来、YouTuberのパフォーマンスをVRヘッドセットを装着して視聴する日が来るのかも知れません。

代償を伴うトラッキング


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VR化された経験が貨幣のように流通する未来では、必然的に個人の経験が今まで以上に追跡=トラッキング可能となります。そうした未来では、主要なVR技術を提供する企業が最も多くのデータを蓄積することになります。この見方にもとづけば、未来のGoogleにあたる企業はVRエクスペリエンス検索技術を基幹ビジネスとしている、と言えます。

未来においても問題となるのが、情報の透明性とプライバシーのバランスです。公開する個人情報が多ければ、それだけより個人に適した言わばパーソナライズされたサービスを受けることができます。しかし、当然プライバシーは犠牲になります。ケリー氏は、こうした問題に「情報公開度のスライダーボタンモデル」を提案しています。

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ケリー氏は、ユーザは個人のニーズに合わせてどの程度情報を公開するか選択肢をもつべきだと主張します。そのうえで、プライバシーを守るためにはパーソナライズされたサービスは放棄すべきで、反対にパーソナライズされたサービスが欲しければ個人情報を公開しなければならないことを受け入れることが大切だと述べます。

以上のレジュメは、ケリー氏が講演会で語ったほんの一部しか触れていません。ブログ作者は、はじめは新刊を読めば講演会は行かなくていいや、なんて思っていました。しかし、講演会に参加した結果、ケヴィン・ケリーという人物が自分にとって「情報」でなく「経験」となったので、非常に刺激を受けました。

『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』の感想は、近日中にブログにアップします。

VRミュージックビデオのレトリック ⑥ アバター型 もしくは「Björk Digital」感想

今回の記事は、VRミュージックビデオの新しいレトリックである「アバター型」について説明します。

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「アバター型」VRミュージックビデオの発見


「アバター型」のVRミュージックビデオは、現時点ではひとつしか存在しません。現存するアバター型の作品とは、現在日本科学未来館で開催されている「Björk Digital」展で体験できる《Not Get VR》です。

本来ならばYouTubeあたりから同作品のトレーラー動画を引用したいところですが、ないので画像とことばで作品を説明します。

《Not Get VR》を体験するのには、HTC Viveを装着するところから始めます。VRヘッドセットを装着後、3次元のVR空間が広がり、辺りを見回すと光の粒からできた幻像のようなモノが現れます。

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ビョークを知るヒトならば、幻像にビョークの面影をすぐに認めることができます。HTC Viveを装着しているユーザー=鑑賞者は、その幻像の回りを歩くことができます。歩きながら幻像を眺めていると、カメラによって撮影された被写体というより、VR空間内にリアルに存在している何か、という印象を受けます。

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幻像は現れてから程なくして、歌を歌い始めます。歌に合わせてカラダも動かします。幻像はユーザーの動きに対して反応を示しませんが、次第にカラダを変化させて行きます。

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ちなみに
公式サイトによると、幻像は蛾をモチーフにしているとのこと。確かに光の粒ひとつひとつが発光する蛾のように見えなくもありません。蛾をモチーフにしているという情報を下敷きにできるならば、少なくともブログ作者は《Not Get VR》が見せる漆黒のなかで舞う幻像という構図から、速水御舟の《炎舞》を連想してしまいます。

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《Not Get VR》の表現形態をアバター型と形容するのは、以上のような幻像がまさにビョークのアバターのように体験されるからです。

アバター型の特徴


アバター型のVRミュージックビデオにおける表現の特徴は、(HTC Viveという)ハイエンドVRヘッドセットを使って制作していることに由来します。これまで本ブログで紹介してきたレトリックをもったVRミュージックビデオは、全てVRカメラを使って制作しています。そのため、(Google Cardboardのような)モバイル対応VRヘッドセットで視聴でき、かつYouTubeにアップすることも可能でした。

アバター型の作品は、ハイエンドVRヘッドセット対応のアプリとして体験するものです。こうした作品は体験するための敷居がかなり高くなりますが、その高い敷居に見合うまさに異次元の特徴を備えています。

誘導から探索へ


ハイエンドVRヘッドセットで制作することによって、鑑賞者は首の動きに連動した視線の自由のみならず、実際に移動することによって生じるカメラ位置の自由も獲得します。

本ブログでたびたび指摘してきたVR動画の演出に不可欠な視線誘導は、カメラアングルのインタラクティブ性を活用したものでした。カメラポジションのインタラクティブ性をも獲得したアバター型においては、視線誘導ではその可能性を十分に引き出せません。

VR空間内を歩き回り様々な位置と角度からバーチャルなモノを鑑賞できるアバター型に相応しい演出は、視線誘導ではなくVR空間内を探索させることでしょう。つまり、アバター型コンテンツの作り手は、鑑賞者がバーチャルオブジェクトの回りを周遊するようにしむけ、かつ何かしらを発見するようにしかけるのです。

ビデオからライブへ


カメラのポジションとアングルのインタラクティブ性を実現するアバター型ミュージックコンテンツは、もはやビデオというよりはライブの性格が強くなります。

ビデオ=動画とは、作り手がコンテンツの一部を枠撮る=フレーミングした断片を時間軸に沿って見せる表現形式です。

アバター型コンテンツにおいては、視聴者にコンテンツのフレーミングが完全に委ねられるので、フレーミングした断片の追体験という動画表現における前提が解体します。

アバター型コンテンツは、イベントが起こっている場所に行って各人が自由にコンテンツを鑑賞するライブに似た体験となるでしょう。

ただ、アバター型コンテンツとリアルなライブのあいだには決定的な違いがあります。それは物理的制約からの解放です。リアルなライブでは、たいていアーティストは遠くのステージにいて触れるような距離にはいません。アバター型コンテンツでは、アーティストのアバターを文字通り間近に感じることができます。

「Björk Digital」に先立って行われたギズモード・ジャパンのインタビューにおいて、ビョークは「VRはライブよりもいいんじゃないかと思うことすらある。ライブよりも自分に近いところで、そこにいるような体験ができるからとても親密に感じるの。」と言ったのも、アバター型がもつ物理世界からの解放を身をもって体験したからでしょう。

リアルとは別の「リアル」


今まで説明したようにアバター型コンテンツでは、物理世界とさほど変わらない空間感覚と、物理世界的制約からの解放を同時に体験できます。

そうであるならば、アバター型コンテンツは物理世界を忠実に再現するのではなく、物理世界とは別の(場合によっては超えた)リアリティーを追求すべきです。

極端な話、頭上に載せたVRカメラが撮影した動画を見せるVRヘッドセットを装着してライブ会場に行ったら、視覚的にはリアルな世界とさほど変わらない「バーチャルな」体験ができるでしょう。この話がナンセンスに聞こえるのは、(メディアとしての)VRヘッドセットの使い方がメディアの本質に反しているからです。

人間にとって生得的なメディアと言える話し言葉から最新のVRテクノロジーに至るメディア全般の本質とは、物理世界を多重化し拡張することです。決して、物理世界を代替することではないのです。話したいヒトが目の前にいるならば、話しかければいいし、見たい景色があるならば、時間が許す限り眺めていればいいのです。LINEしたり、VRカメラで撮影するのは、その後です。

簡単に言えば、テクノロジーは「できないことをできる」ように使うべきであって、「もともとできること」に使ってもさほど意味がない、ということを主張したいのです。

もっとも、テクノロジーがもたらすアナザーリアリティーという問題は、本記事で論じ尽くすことなど到底できないことなので、いつか改めて論じたいと思っています。

「魔法の世紀」において見えるモノ


《Not Get VR》を体験した後、ブログ作者は過去のビジュアル体験で似たようなものはないか、記憶をたどりました。そして、思い出したのはマンガ「ベルセルク」に登場する魔術師フローラの最期のシーンでした。

20160707_notget_6.png

引用したマンガのひとコマがどのようなコンテクストをもっているかを知らなくても(無論ブログ作者は知っていますが)、このコマが表現しようとしているビジュアルと《Not Get VR》が表現するビョークの流転には何か通じるものがある、という感じるのは無理があるでしょうか?

テクノロジスト兼アーティストの落合陽一は、著書「魔法の世紀」においてデジタル技術を使ってリアリティーを直接的に制御することを端的に「魔法」と表現しています。その「魔法」と対比的に論じられているのが、リアリティーを平面に還元する「映像」です。

VRヘッドセットがもたらすバーチャルリアリティーは、「魔法」と「映像」のどちらに属しているのでしょうか。

ブログ作者の考えを言えば、少なくとも《Not Get VR》というVRコンテンツから感じたことは、「映像」ではなく「魔法」でした。

正直なところ、さんざんVRについてブログで書いておいて、ブログ作者は未だにVRに関して半信半疑です。2020年東京オリンピックの頃にVRテクノロジーが華開いているか、と尋ねられたらフィフティー・フィフティーだと答えます。

しかしながら、VRがかける「魔法」から今しばらくは解かれたくない、といのが嘘偽りのない本音です。


プロフィール

吉本幸記

Author:吉本幸記
元エンジニアのフリーライター。テクノロジー系の記事を執筆している。アートにも関心がある。美術検定3級取得

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