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表面世界の行方 (8) 世界像のメディア その3

 前回の記事では、写真と映画の意味が発生する仕組みを確かめました。
今回の記事では、写真と映画をはじめとしたテクノ画像を介した人間と世界の関係を分析します。

この連載記事のはしがきは、こちら
この連載記事の目次は、こちら

08_1.jpg 
中世最大の神学者トマス•アクィナスは、体系化されていなかった神学的言説を整理する目的で『神学大全』の執筆を開始した。執筆中のある日に神秘体験を経験した後、トマスは『神学大全』の完成を断念した。神秘体験とは、一切のメディアによるモノ化を拒否するメディア体験のことであろうか。そのようなものを情報と呼べるのであろうか。画像は、最も美しい写本と呼ばれる『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』の一部。

 前回の記事で確認したように、テクノ画像を生み出す装置+オペレーターは無数にあるうえに、テクノ画像の典型例である写真と映画の意味が発生する仕組みにも容易に共通点を見出せません。アナログ複製メディアを特徴づけるテクノ画像を介した人間と世界の関係の分析は、困難に思われます。この困難を解決するためには、多少の回り道が必要です。

 20世紀の哲学者ハイデガーは『世界像の時代』において、近代の存在了解を特徴づけています。存在了解とは、存在する個々のモノがまさに存在していると理解できる人間と世界の枠組みを明らかにすることを意味しています。自然科学が解き明かす知識は、あくまで個々のモノに関わっています。存在了解とは、個々のモノの総和以上のものである世界を解き明かすことを目的としているので、自然科学的知識とは一線を画しています。

 近代とは世界像の時代であるとハイデガーは述べています。近代とは、世界を像として理解する、あるいは像を介して存在了解を遂行しているのです。近代以前には、その時代ごとの世界像があったわけではなく、そもそも世界を像として理解していませんでした。中世ヨーロッパでは、世界は神が定めた存在の位階に従い理解されるべきものでした。古代ギリシアに至っては、世界が存在するということを人間が受容するという現代とはかなり隔たった存在了解が遂行されていました。ハイデガーは世界像としての存在了解の特徴を、一切の存在するモノを人間の面前に立てて、人間に対して現前するものとして理解することとしています。

 アナログ複製メディアが生み出すテクノ画像とは、まさに世界を世界像として理解することを可能とするメディアと捉えることができます。被写体が天体であれ分子であれ、画像が静止していようが動いていようが、テクノ画像は物理世界内の現象を平面的な画像に変換します。ラジオのような画像を介さないメディアであっても、装置+オペレーターから生み出されること、および技術的に複製された音声がまさに現前するものとして体験されることから、世界像としての存在了解の具体相であると言えます。テクノ画像を世界像としての存在了解が具体化したものと捉えることによって明らかになるアナログ複製メディアの世界様式図は、図1のようになります。

08_2.png 
図1 アナログ複製メディアの世界様式図

 図1は、以前の記事に掲載した文字の世界様式図と酷似しています。酷似しているのは、文字が話し言葉を知覚可能なモノにしたのと同じように、アナログ複製メディアが文字を直観的なテクノ画像にするからです。つまりは、話し言葉と文字の関係と、文字とアナログ複製メディアのそれのあいだには、メディアの意味論のうえで比例関係が認められるのです。とは言え、文字が形成する情報世界である物語世界と、アナログ複製メディアが形成する世界像としての情報世界のあいだには大きな違いもあります。直観的な画像理解をもたらす世界像は、文字による逐次的理解にもとづく物語世界に比べて、情報世界への深い没入を促します(*1)。その反面、世界像と物理世界は、物語世界と物理世界の関係とくらべた場合、より深く分離されています。

*1 総務省が発表した平成25年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査を参照すると、日常生活において文字よりもアナログ複製メディアの方が長い時間使われていることがわかります。参照した資料は、こちら

 世界像と物理世界の分離の深刻さを示す具体例のひとつには、9.11同時多発テロ事件のテレビ映像が挙げられます。世界貿易センタービルに激突する航空機を写した映像を見て、多くの人がハリウッド映画を連想したはずです。実際に起こっている出来事の映像が、フィクションのように感じてしまうのは、フィクションとしての映画に現実に匹敵するリアリティーがあったからでしょう。と同時に、破局的な出来事=カタストロフィーは、現実ではなくフィクションとしてのテクノ画像が見せるものであるという通念が根付いていたことも指摘しなければなりません。カタストロフィーとは、現実とは分離された世界像のなかでしか起こってはいけないのです。しかしながら、こうした世界像が現実の世界の正しい理解を妨げることもあるのです。

リュミエール兄弟が制作した最古の映画を見て、人々は動く電車の動画から逃げたと伝えられている。映画が生み出すヴァーチャルリアリティーがリアルなものと感じられたのである。映画が生み出すヴァーチャルリアリティーは、時として現実のリアリティーを歪める手段として使われた。そうした一例が、ナチスドイツによるプロパガンダ映画である。

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吉本幸記

Author:吉本幸記
元エンジニアのフリーライター。テクノロジー系の記事を執筆している。アートにも関心がある。美術検定3級取得

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